会長挨拶


岡村 良久 岡村 良久
(慈仁会尾野病院整形外科・青森県スポーツ協会副会長)


 1980年に日本体育協会(現日本スポーツ協会)は、公認スポーツドクター制度を発足させ、主として競技スポーツ選手に対する医科学サポートを推進するとともに、各都道府県にもスポーツドクターの活動を図った。その後、健康スポーツを推し進める日本医師会認定健康スポーツ医、スポーツ傷害の診療を担う日本整形外科学会認定スポーツ医が制度化され、スポーツドクターが一般的に認識されるようになった。
 青森県では、1987年5月23日に故・大関堯(大関内科院長)会長のもと、県体育協会内に事務局を置き、「青森県スポーツドクターの会」が設立された。現在は、事務局を弘前大学整形外科学教室におき、会員数は約120名である。同様の組織がいくつかの都道府県に存在するが、多くは教育庁あるいは県スポーツ協会に経済的にも活動においても規制されているが、本会は、全国唯一、会員会費のみで運営し、独自の活動を企画、実行している。
 初期の活動としては、1988年から県体協内にて10年間にわたりボランティア活動として、会員がスポーツ医事相談室を担当した。日体協の岸記念体育会館内のスポーツ診療所に追従したものであったが、県内では当時、スポーツ選手にとって心身ともに拠り所となり、相談室受診者から現在も県内で活躍している多くのスポーツ指導者を輩出している。
 国民体育大会など競技会へのメディカル・スタッフとしての活動に関しては、1987年沖縄国体に、当時、県体協理事長であった故・川島卯太郎(整形外科医)がスポーツドクターの腕章をつけて総務として帯同したが、当時のドクター派遣は、開催県と日体協本部のみであった。翌年の二巡目京都国体からはスポーツドクター、さらに、1999年熊本国体からはアスレチック・トレーナーを競技団体付けとして派遣している。国体のみならず、東北総体、県内の競技会などにも積極的に参加して、選手のみならず観客のメディカル・サポートも行っている。直近では、令和元年10月のYSアリーナ八戸のこけら落とし全日本距離別スケート大会でもサポートした。
 さらに、夏の高校野球甲子園予選大会では、準々決勝からドクター、トレーナーを派遣して、外傷、熱中症などの傷害予防にあたっている。野球に関しては、小学生から高校生まで投球障害予防のメディカルチェックを県内各地で実施して、「野球検診手帳」を発刊した。陸上競技においては、近年、日本陸連でも女性のスポーツ傷害に注目しているが、本会では先行して、毎年、国体予選会にて貧血検査、骨密度検査、栄養相談、ドーピング指導を行い、選手、指導者への啓蒙活動を行ってきた。その他、駅伝、マラソン大会では、突然死の予防、熱中症への対処にあたり、サッカー、ラグビーなどのコンタクト・スポーツにおいては、脳震盪傷害対応をはじめとした救急救命研修会を開催して、選手自身、競技者に初期対処方法を指導している。また、一般スポーツ愛好者に対しても、テーピング講習会を開催して、傷害予防を紹介している。
 以上のような活動に対して、本会は、令和2年2月26日、第14回東奥日報スポーツ功労賞を受賞したが、それに甘んじることなく、今後も、より一層密度の濃い活動をしていきたいところである。現在、県内競技団体では、ボクシング、ラグビー、サッカー、体操、陸上競技、柔道に医事組織が設立されているが、多くの競技団体では、いまだメディカル・サポートには受け身な対応が多い。すべての競技団体内に医事組織を設立する目標に向かって、今後も、「青森県スポーツドクターの会」は、独自の活動を推し進めていきたいと考えている。

ページトップへ